企画展・講座
2023/02/07
第86回まなべこ歴史文化講座
「関ヶ原前後の会津-上杉景勝の真意-」
1月29日、講師に 本間 宏 氏をお迎えし、関ヶ原前後の上杉景勝の行動と神指城築城の意味などについて書状の解析や発掘調査の結果を踏まえて学びました。
謀反の兆しあり⁉逆心は本当か⁉
若松城から約4キロの地点に約二倍の広さをもち、徳川家康と戦うために造られたとする神指城。
しかし、発掘調査の結果では数ヶ年以上に及ぶ長期計画の築城で若松から神指への「首都機能移転」を意味するものでした。驚くことにその一画には上杉謙信廟が造られたり、多くのお寺も入れられる計画だったようです。
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徳川と戦うつもりだった⁉
景勝が白河口で徳川軍をやっつける計画があったと「東国太平記」に書かれています。
それは当時の記録などと照らし合わせると全ては江戸時代から現代にかけての証拠までも作られたフィクションだったのです。
上杉景勝は徳川家康と戦うための準備などはしていなく、戦いも領地や城を奪い合う戦国期の戦いではなく、家臣を{守るための戦い}だったことがわかりました。
また、関ヶ原の戦いの結果をすぐに知ることが出来なかったのも敗北の原因の一つだったようです。現代のドラマなどでは解らない景勝の真意が見えました。
当日は開場前からたくさんの方に来ていただき、大盛況の講座となりました。
ありがとうございました。