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第93回まなべこ歴史文化講座を開催いたしました

企画展・講座

2024/02/03


 遅くなりましたが、第93回まなべこ歴史文化講座、

 

「最新の発掘調査の成果から会津の歴史を学ぶ」

 

 無事開催することが出来ました。

 ご参加くださいました皆様、ありがとうございました。

 

 

 今回の講座では、調査が終わったばかりの新庁舎予定地と、上高野地区の調査成果を前半後半に分け、会津若松市文化課の、角田洋子さんと、澁川駿さんに解説して頂き、そこから読み取れる人々の暮らしや統治の状況などを教えて頂きました。

 また最後には、出土した土器や生活の道具などを、実際に見たり手に取ったりすることが出来、参加された皆さんからの質問や感想が飛び交う、和やかながらも白熱した講座となりました。

 

高野地区発掘調査

 

 前半は澁川さんから、上高野地区の7つの遺跡の発掘成果について解説頂きました。

 主に三つの年代の遺跡であることが出土品などから分かったそうです。

 

↑遺跡の大まかな位置図

 

 一番多く出土している時代が「奈良~平安時代(9世紀頃)」の遺物や遺構で、掘立柱建物跡や水路跡の遺構が見つかり、出土した遺物も墨書土器や硯などの9世紀のものが中心に発見されています。

 

↑髙と言う文字が墨書されている土器

 

 この時代一般の人は文字が書けなかったため、国の役職についている、文字を書くことのできる人物が住んでいたのかもしれません。

 周辺には会津郡衙(国の役所)と考えられている「郡山遺跡」や、稲の品種が書かれた札や、墨書土器が大量に見つかり、物資の集積施設と考えられている「矢玉遺跡」などがあり、今回調査した遺跡も一連の遺跡群の一つと考えられるそうです。

 この周辺は古代会津の中心地として栄えていたのかもしれませんね。

 

 その他にも、「弥生時代末~古墳時代初め」頃の弥生土器や、北陸系の土器、そして会津盆地内では珍しい「縄文時代前期」の土器が発見されました。

 

↑縄文土器

 

 この時代会津は湿地だったと考えられており、縄文時代の土器は、ほとんどが山裾から出土しています。

今回の発見はとても貴重な資料となるそうです。

 まなべこでは「郡山遺跡」から出土し、市の指定文化財となっている墨書土器や硯を以前より展示していたのですが、先日行われました展示替えより「高野地区発掘調査」の出土品や、次に紹介します「若松城郭内武家屋敷跡」の出土品が新たにまなべこで展示を開始しました。

 是非実物を見に、まなべこへいらしてくださいね。

 

若松城郭内武家屋敷跡

 

 後半はその「若松城郭内武家屋敷跡」についての発掘成果を角田祥子さんに解説していただきました。

 今回は会津若松市役所新庁舎の建設地と謹教小学校跡地の一部を調査し、武家屋敷で生活していた人々が使用していたと思われる食器などの陶磁器、お箸や下駄などの木製品、そして用途はよく分かりませんがお城の瓦などが出土しました。

 この他にも弥生時代の土器なども出土していることから、弥生時代からこの地で生活していた人々がいたということが分かりました。

 

↑お城の瓦

 

↑江戸時代の屋敷の配置図

赤い線で囲ってある部分が調査範囲


 調査範囲の、江戸末期の屋敷の配置図をみると、大場秀之助さん(250石)、三井計之介さん(100石)、遠山寅次郎さん(100石)、下平英吾さん(180石)、小池繁次郎さん(500石)、田中蔵人さん(550石)のお屋敷があったことがわかります。

 それぞれどのような方であったのかこちらでは割愛しますが、「会津若松市デジタルアーカイブ」で会津藩士の家系図や役職などを知ることが出来ます。

 

https://adeac.jp/city-aizuwakamatsu/top/

 上のリンクからも飛ぶことができますので是非チェックしてみてください。

角田さんのお話では、中には戊辰戦争で亡くなられた方も居たようです。

 

 郭内には100石以上の禄高の武士が住んでいました。

 100石と言うと想像がつきづらいのですが、お家に住み込みのお手伝いさんもいる、それぐらい裕福なご家庭だったと考えられています。

 別の調査区では、屋敷の門と一緒になっている建物の跡も見つかっているそうです。

 その他に共通してわかってきているのが、池が通りに面して作られていることが多く、若松城下には道に沿って水路が流れているため、そこから水を引くために池が通りに面しているようです。

 

 

 また江戸時代よりも古い溝跡が見つかっており、これは蒲生氏郷時代の区割りの名残ではないかと考えられています。

 今回発見された溝の片側には火災があったと考えられる燃えたあとが残っていて、火災がここで止まった事が分かったそうです。当時の火事の様子までわかってしまうんですね。

 この溝跡の写真が実際にまなべこに展示してあります。

 くっきりと地層の色に黒い色が入っているのが分かります。

 

 江戸時代の生活感にあふれた出土品達も面白かったです。

 

↑若松城郭内武家屋敷跡の出土品の一部

 

 キセルの灰落としは、使い込まれて口の周りがぼこぼこになっていたり、下駄にはその人それぞれの歩き方の癖で出来た磨り減りを見ることが出来ます。

 鳥を飼育することが流行っていたため、沢山の鳥の餌入れも有りました。鳥を見ながらキセルで一服なんてしていたのでしょうか?

 これからも調査が進み、昔の人びとの暮らしが解明されていくのが楽しみですね。

 

 1月27日よりまなべこ常設展をリニューアルし、今回の文化講座で紹介した出土品や遺構の写真などを新しく展示しています。

 是非実物を見に、まなべこにいらしてくださいね!

 皆さまのご来館、お待ちしております。