企画展・講座
2023/10/03
第90回まなべこ歴史文化講座
「若松城下の痕跡を探る」
9月10日(日)、第90回まなべこ歴史文化講座「若松城下の痕跡を探る」を開催いたしました。
今回も沢山のご参加ありがとうございました。
今回は講師の近藤真佐夫先生に、日新館を中心に若松城下の痕跡を解説して頂きながら、若松の町なかを三キロ程歩きました。
謹教小学校より出発し、白虎隊隊士であった「篠田儀三郎」の生家跡を見ながら米代二之丁を、本一之丁方面に進めば、住宅街の中に存在感を放つ「日新館天文台跡」が見えてきました。
今はなくなってしまった米代一之丁の脇に日新館はありました。
古地図などを確認すると、ここが日新館の北の端になっていたんですね。
日新館をまわるように米代二之丁に戻ります。若松商業高校の前を進むと、白虎隊士の「津川喜代美」生家跡が若松商業高校の敷地の中に見えます。商業高校の校門の反対側がちょうど日新館の南門だったそうです。今は民家が立ち並びます。
そのまま若松城の西出丸に向かって歩きます。西出丸では戊辰戦争の際、敵に日新館を利用されないよう、隅櫓から日新館に向かって火矢を放って燃やした話などをしてくださいました。
西出丸からは日新館跡地が見渡せるので、想像もつきやすかったです。
その後大町通を進み、「会所」と言う江戸時代の政治を執り行う場所の話を聞きました。お城で政治をしていると勘違いをしていたので目からうろこでした。
白虎隊士の生き残り、「飯沼貞吉」の生家跡を右に見ながら進めば、戦後新政府が売却したため幅の細くなった本三之丁を西に曲がりました。
本三之丁では途中外堀に沿って造られている道の名残を感じながら諏方神社に向かいました。
今はない桂林寺町口郭門跡を外堀の方に出て、堀に沿って造られている諏方四谷を渡り諏方神社へ入りました。
諏方神社は会津でもかなり古い歴史のある神社で、郭内にある神社やお寺はここと、興徳寺だけになります。
境内には会津藩が北方警備に行く安全を祈願するために建てられた燈籠や、それよりもさらに古い時代のカエルが乗っている珍しい燈籠、そして郭門の痕跡、また戊辰戦争の弾痕が残っている鳥居などを見ることができました。
諏方神社で開催されていたお祭りには日新館に通っていた子供たちも参加し、自由に買い物することができたそうです。
武士の子供でも規則に縛ら自由に買い物できずに大変だったんですね。
東山の会津松平家墓所、院内御廟でも石碑を支えている亀趺ですが、諏方神社の燈籠も支えていました。なんと首がご神体の方向を向いて少し曲がっているそうです。可愛く感じてしまいます。
謹教小学校へ戻る途中、天文台跡の通りに入る曲がり角で、その付近の発掘調査で卒塔婆の破片が見つかったことを近藤さんが解説してくださいました。
蒲生以前の城下町はいろんな職種の人が混在して住んでいたことが分かる貴重な発見ですね。
今回の講座では日新館をはじめとする江戸時代の痕跡をたくさんたどることができました。当時の人々がどんな生活をしていたのか垣間見ることができましたね。
次回は「会津と漆の歴史」です、沢山のご参加お待ちしております。