企画展・講座
2022/10/06
「早乙女貢先生を語る」
9月23日(金・祝)「まなべこ」歴史文化講座を開催しました。講師は深い親交があった
清原康正氏と高橋千劔破氏をお迎えして今まで知らなかった真の早乙女貢先生のエピソードをお伺いしました。
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早乙女貢先生の本名である「秀吉」は、元旦生まれの伝承をもつ豊臣秀吉に因んで
名づけられたそうですが、なぜ豊臣秀吉を小説に書かないのか知っていますか?
これは先生が“藤吉郎”時代が華で、秀吉になってからは魅力がないと感じていたので
小説に書かなかったそうです。
先生が会津を心の郷里と感じていたのは、先生が生まれた旧満州のハルビン市は
戦争により日本でなくなり、故郷が無くなったことから自身を根無し草・故郷喪失者と
感じていたそうです。そのため先生は曽祖父が会津藩士であったことから、会津を愛し
「会津に行くたびに懐かしさを感じる」とおっしゃっていたそうです。
その気持ちはどの場所でも一貫しており、長州での講演会においても会津藩の正しさや、
その後藩士が移った、斗南の地で亡くなった会津人の苦労に涙ぐんで話していたそうです。
何本も連載を持つ先生は、どこでも原稿を書き、それを送るのが日課でした。そのため
先生が外国に行った時に、まず確認する事は、FAXの有無だったそうです。
先生の執筆量はすさまじく、他の小説家の倍程の作品を書いています。
参加者からは、「なぜ先生が会津を故郷と決めたのか分かりました」、
「会津人より会津的というのが嬉しかった」などの感想を頂きました。ありがとうございました。
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